浜松という異次元な世界の探求

浜松市に住んで初めてわかった他とは異なる文化、面白い事などなど・・・。浜松ゆるゆるLife♬

徳川家康ゆかりの地を巡るコースを気紛れに歩いてみました

浜松に越してきて10年、浜松城の隣の浜松市役所へ行ったり、浜松城公園で花見はすることはあっても、浜松城に行ったことがなかったことに気が付き、10年目にして浜松城へ出陣することにしました!!

折角なので、ネットで調べていたら、「徳川家康公と浜松のかかわりについて知りたい初心者の方に」(浜松・浜名湖だいすきネット)とあり、

徳川家康ゆかりの地を巡るコース【東照宮コース】を参考に気まぐれに廻ってみました。 

徳川家康ゆかりの地を巡るコース (浜松・浜名湖だいすきネット)

【東照宮コース】                 

①浜松城公園(駐車場)       

②東照宮                 

③椿姫観音            

④浜松城              

⑤徳川家康像                                              

⑥鎧掛けの松                                           

⑦松韻亭                                                  

⑧ホテルコンコルド(ランチ)             

⑨浜松城公園(駐車場)    

                         

【気まぐれコース】

①東照宮

②浜松城

③徳川家康の像

④鎧掛けの松

⑤スターバックスコーヒー浜松城公園店

(浜松城公園入口にあります)

⑥椿姫観音

⑦浜松八幡宮

 

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提供:浜松・浜名湖だいすきネット

地図③椿姫観音の右の変形した★が浜松八幡宮になります。

 

1.東照宮

今川家武将の居城であった曳馬城(引間城)は、浜松城の前身といわれ、浜松城の東、約300mに位置し、現在は東照宮となっています。日光、久能山と同じく家康を祭るお宮です。

豊臣秀吉は織田信長に仕える以前の木下藤吉郎だったころ、今川氏の家臣で曳馬城(引間城)主の頭陀寺城主である松下之綱に仕えてました。その後織田信長に仕えるようになります。

家康だけでなく秀吉も・・・。曳馬城(引間城)は2人の天下人が関わった城でした。

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(左)東照宮 (右)曳馬場(引間城)跡石碑

 

2.浜松城

 浜松城の前身

浜松城は、三方原大地の東縁にあたる段丘を利用した平山城です。浜松城が築城される前は、曳馬城(引間城)といい今川貞相が15世紀頃築城したという説が有力です。

この地を支配していた大河内貞綱が今川氏に敗れ、今川氏親(今川義元の父)配下の飯尾氏が支配するようになり、飯尾乗連、飯尾乗竜が城主となります。

しかし、飯尾乗竜は今川氏貢(今川義元の子)の策略に嵌り殺されてしまいます。その後城を守った飯尾乗竜の正室お田鶴の方に家康は降伏を求めますが、攻める家康に奮戦をし次女とともに討死します。

そのお田鶴の方を祀ったのが「椿姫観音」(6.椿姫観音)です。

浜松城としての出発

1568年三河から東進、今川領の制圧を開始した家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一体を見渡せる三方ヶ原の丘に目をつけます。

信玄打倒のため1570年岡崎城を長男の信康に譲り、遠江全域(遠江(とおとうみ):現在の静岡県西部)を支配下に治めた曳馬城(引間城)を「浜松城」とし、城域の拡張、改修を行い拠点としました。

曳馬城(引間城)は「馬を曳く」という意味にとることができ、負け戦を意味するため縁起が悪いということで地名を「浜松」に改め「浜松城」としたと言われています。

徳川家康が浜松を本拠としていたのは29歳~45歳までの17年間。

有名な姉川、長篠、小牧、長久手の戦いもこの期間中の出来事で、特に三方ヶ原の戦いは関ケ原の戦い以上の激闘であったと伝えられています。

家康退去後の浜松城は「出世城」に

徳川家康が駿府城(静岡市)に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。

藩政260年の間に25代の城主が誕生。在城中に幕府の要職に就いたものも多く浜松城は「出世城」と言われるように。

中でも有名なのは江戸三大改革のうちの一つ天保の改革を行った水野越前守忠邦。天下統一を果たした家康にあやかって自ら浜松城主になったと言われています。

【浜松城内】

 地下1F 井戸

1F 浜松城と徳川家康

2F 城下町、出世城と武具

3F 展望室

 

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浜松城入口

 

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(左、中央)約400年前の築城の頃の面影を残す貴重な石垣。 

(右)浜松城の石垣(野面積)のしくみ

浜松城の石垣は、自然石を加工せずに上下に積み上げる野面積みです。石と石の間には隙間があり崩れそうに見えますが、奥が深く内側に小石や砂利を詰めてあるため、水はけもよく堅固です。江戸時代初期以前までは良くこの方法が用いられ現存する石垣としては、彦根城、竹田城、安土城にも用いられたとのこと。400年もの間耐え現在にまで当時の面影を残している貴重な石垣を見られました。凄い!!

 

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井戸

この井戸は銀名水と呼ばれ、浜松城には6箇所井戸があり、清水の湧出する清水場が2箇所あったそうです。

 

1F 浜松城と徳川家康

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若き頃の徳川家康像

老年期の家康像から割り出し制作された家康像。「手相、しわ、毛穴」まで再現され戦国時代を生き抜いた家康の迫力が伝わります。

 

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「顰(しかみ)像」(徳川美術館所蔵)

「しかみ像」は有名ですよね。武田信玄との三方原の戦いにて大敗した時の悔しさと恐怖に震える表情を自分への戒めとして絵師に描かせた自画像です。

冷静さを欠いた行動で多くの家臣を失ってしまった自分への戒めるため手元においていたことも有名ですね。

 

2F 城下町、出世城と武具 

2Fは江戸時代の後期(1830年~1843年頃)の浜松城と城下町の模型や具足や陣羽織、陣笠など武具が展示されています。

 

3F 展望室

浜松城天守閣からは北は三方原古戦場、南は遠州灘、西は浜名湖、晴れた日には東に富士山がくっきり見えます。

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天守閣から見た東側展望

浜松城の前身曳馬城(引間城)は、天守閣から東方向(上図)の緑の表示の奥左から1つ目の範囲のみでした。家康により城域の拡張、改修されました。

 

地下1F 井戸

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石組井戸

地下に石組井戸がありました。井戸は直径1.3m、深さ1mで籠城の際、貴重な水を確保するためのものだったと言われています。石組井戸とは、穴の周りを石で積んで崩れない様にしたもの。

 

3.徳川家康像       

 

 

戦国時代の精悍な顔の家康像です。

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4.鎧掛けの松

 

三方ヶ原の戦いに敗れ逃げ帰った家康が安堵からその重い鎧を脱いで掛けたとされる松の3代目の松だそうです。

 

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5.スターバックスコーヒー浜松城公園店

 

浜松城を見た後は浜松城公園入口にできたスターバックスに寄りたくてちょっとブレイクタイム♬ 浜松城公園の緑に溶け込んで良い雰囲気。

 

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店内は天井が高く窓が大きいので、解放的でゆったりできます。

 

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今日はまだ暑いのでキャラメルフラペチーノなんて飲んでみました。

お店が開店した当時はいつも満席で入れないなんて噂もありましたが、今日は大丈夫みたいです。

ちょっとゆっくりするにはとてもお薦めです。

 

その他休憩場所としては、

浜松城公園内にある松韻亭、浜松城公園入口の隣にあるホテルコンコルドをお勧めします。        

松韻亭の【公式】サイトはこちら

ホテルコンコルド浜松【公式】サイトはこちら 

 

6.椿姫観音

 

浜松城は曳馬城(引間城)という名前のお城でした。曳馬城(引馬城)城主であった第四代曳馬城主、飯尾乗竜(今川家重臣)は今川氏真の策略にはまり命を落とします。その後正室であるお田鶴の方は曳馬城の城主となり城を守っていました。

 

浜松では、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の井伊直虎が有名ですが、曳馬城(引間城)城主であるお田鶴の方も女性なので、もう一人の直虎というところでしょうか。

 

お田鶴の方は永禄11年(1568年)に徳川家康に攻め込まれ討ち死にします。最後まで城を死守したお田鶴の方に感銘した家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬り祠を建てました。

家康の正室である築山御前はその死を哀れに思い、塚の周囲に椿を植え、お田鶴の方を祀ったことから以後「椿姫塚」「椿姫」と呼ばれるように。祠は、椿姫観音堂から5m西北にあった小さな台地にあったと伝わっています。観音堂前には、「元曳馬城主、飯尾豊前守乗竜 奥方 お田鶴の方」と書かれた石碑があります。

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椿姫観音はとても小さく町のなかに佇んでいます。入口はちょうど一人が入れるくらいの幅で奥行きも3mくらいでしょうか。とても手入れが行き届いて綺麗でした。

 

7.浜松八幡宮

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徳川家康は浜松入城以来、武家の守護神・浜松城鬼門鎮守、鬼門降伏の氏神として浜松八幡宮を信仰し、開運招福、武運長久を祈って参拝されたと言われています。

お宮の中、社殿の前に聳える『雲立楠』は静岡県天然記念物に指定される樹齢1000年を超える楠の巨木で、根元には大きな穴があります。

古くは源義家が参籠の折、樹下に旗を立て八幡二柱(武運長久の神である、品陀和気命(応神天皇)、息長足姫命(応神天皇の母神功皇后))の神を分霊したとの伝承から『御旗楠』と称されていました。

また、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた徳川家康は、武田方の追っ手を逃れて浜松八幡宮にたどり着き、楠の根元の穴に身を潜め逃れたそうです。

その際、楠の根元の穴の中で家康がすがる思いで一心に八幡神を拝すると、瑞雲が立ち昇り、神霊が白馬に跨った老翁となり浜松城へと家康を導いたと言われています。

そのことから『雲立楠』と言われるようになりました。

現在では、開運・厄除け・勝運・立身出世などのお守りとして雲竜楠の実を納めた『くすのき守』を求めることができます。

 

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雲立楠

『雲立楠』は樹齢1000年を超える楠の巨樹で、根回り約15m。枝張り四方約25m、樹高約15m、根本には大きな空洞があります。

『雲立楠』はとにかく大きく迫力です。未だに緑が青々としていてパワーを感じます。 下の写真中央に大きな穴がありますが、この穴に家康は身を潜めて助かったんですね。

『雲竜楠』はここでどっしり構え、源義家や徳川家康等々歴史を見守ってきたんですね。感慨深いです。

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家康が潜み難を逃れた穴(写真中央)

 

8.浜松城二の丸の発掘調査

浜松城東側にある旧元城小学校跡で6月20日から浜松城二の丸の発掘調査が開始しました。今回の調査は二の丸に関わる痕跡とその残存状態を把握することを目的とされているとのこと。

江戸時代の浜松城を記録した絵図を参照すると、調査地内には、二の丸御殿や門、石垣、塀などがあったことがうかがえるとの事。う~ん楽しみです。

 

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浜松城二の丸発掘調査(旧元城小学校内)

9.おわりに 

浜松に来て10年、今回ブログを始めることになったきっかけで浜松城に行くことができました。お城は大好きなので、400年前のままの石垣にはちょっとトキメキました。貴重な財産ですね。

また、飯尾乗竜(今川家重臣)が今川氏真の策略にはまり命を落した事は知っていたものの、お田鶴の方ことは詳しく知らなかったので、椿姫観音のことを知れて嬉しかったです。

私も浜松にご縁があったので、出世しちゃいますか。